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KUNIMOTO GIRLS’ JUNIOR & SENIOR HIGH SCHOOL

【校長講話】2月25日(水)卒業に向けて

2026.02.26

その他

皆さん、おはようございます。
本日は、皆さんのご卒業にあたり、はなむけの言葉としてお話をさせていただきます。
今日の講話では、Shel Silverstein著の絵本『The Giving Tree』(1964年)
日本語では『おおきな木』(本田錦一郎訳 1976年、村上春樹訳 2010年)を題材に、
本校の校訓である
「真心」「自然の涵養」「恩に報ゆる」
について、皆さんと一緒に考えてみたいと思います。

この絵本には、一本の木と一人の少年が登場します。
木は少年を深く愛し、彼の望みに応えて、果実を与え、枝を差し出し、やがて幹までも提供します。
そして最後には、切り株となっても、疲れた少年を静かに迎え入れます。
物語の最後には、こう記されています。
「それでも木は幸せだった。」
少年は、木に恩返しをしません。
それでも、木は幸せだったのです。
なぜでしょうか。
この問いは、私たちの生き方にも深く関わるものです。
ここからは、この問いの答えを、本校の校訓に照らして考えてみましょう。

まず一つ目は、「真心」です。
真心とは、見返りを求めず、相手の幸せを願う心。
木は、少年に何かを返してほしいとは思っていませんでした。
ただ、少年が幸せであることを願い、そのために自分を差し出しました。
それはまさに、「真心」の姿そのものです。
皆さんも、家族や友人に対して、そんな気持ちを抱いたことがあるのではないでしょうか。

二つ目は、「自然の涵養」です。
自然は、私たちの心を育み、整えてくれる存在です。
少年は木のそばで遊び、休み、成長しました。
私たちもまた、自然や周囲の人々の支えの中で育てられてきました。
そのことに気づき、感謝する心が「自然の涵養」です。

三つ目は、「恩に報ゆる」です。
恩返しとは、必ずしも直接的に「返す」ことだけを意味するのではありません。
受けた恩を、次の誰かへとつないでいくことも、立派な恩返しです。
少年は木に恩返しをしませんでした。
けれども、私たち読者は、物語を通して問われています。
「あなたは、受けた恩をどう生き方に生かしますか。」

さて、先ほどの問いに戻りましょう。
「なぜ、木は幸せだったのでしょうか。」
木の幸せは、自己犠牲ではありません。
それは、自分の存在が誰かの役に立つという、深い喜びからくるものでした。
与えることは、実は自分自身をも豊かにします。
心理学では、これを「自己超越」と呼びます。
自分の利益を超えて
誰かのために生きる
自分の存在が、他者の人生に意味を持つ
木は、少年の幸せを願うことで、自分の枠を超えた喜びを感じていたのです。

ここで、皆さんに考えていただきたい問いがあります。
これまで、どんな“木”に支えられて生きてきましたか?
自然、家族、友人、先生方、地域の方々…
皆さんが受けてきた恩に、ぜひ目を向けてみてください。
もし、あなたが“木”だったら、これから誰に、どのように幸せを届けていきたいですか?
自分らしい「与える生き方」について、考えてみてください。

皆さんは、これまで多くの支えを受けて、今日という日を迎えました。
これからの人生の中で、その支えをどう生かしていくのか。
どんな「木」として、誰かを支えていくのか。
その答えは、一人ひとり異なっていて構いません。
これらの問いは、校訓の本質と『おおきな木』のメッセージを結びつけるものであり、
皆さん自身のこれからの人生に深く関わるものです。

『おおきな木』の木は、与えることで幸せを感じました。
それは、自己犠牲ではなく、
「自分の存在が誰かの役に立つ」という、かけがえのない喜びでした。
皆さんも、これからの人生の中で、
誰かの幸せを願い、支え合い、恩をつないでいく存在になってください。
本校の校訓は、その歩みを導く道しるべです。
どうか、これからの人生の中で、今日の問いを折に触れて思い出してください。
皆さんの未来が、真心に満ち、自然とともにあり、恩をつなぐものであることを、心より願っています。
ご卒業、本当におめでとうございます。

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