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KUNIMOTO GIRLS’ JUNIOR & SENIOR HIGH SCHOOL

7月6日朝礼:校長講話  幻想の共同体としての国家 ― 沖縄戦から学ぶこと

2022.07.06

校長ブログ

学校長 坂東 修三

全校生の皆さん、おはようございます。早いもので、7月に入り、1学期も残すところ2週間ほどになってきました。また、明後日からは期末試験が始まります。準備に余念がない今日この頃かと思います。

今年も異常気象の影響でしょうか、記録的な猛暑が6月から間断なく続いています。皆さんの中には、体調を崩している人もいるのではないかと案じております。同時に、コロナの勢いも、全国的に下げ止まり状態から、逆に増加に転じています。東京都は、感染警戒レベルを4段階の上から2番目の「感染が拡大している」にレベルを上げました。熱中症にも注意すると同時にコロナの感染にも対策を怠らないようにしなければなりません。梅雨は早々と明けましたが、私たちの心は今年も晴れない日々が続いています。

こんなときは、あくせくと無理をせずに、必要な活動にあてる時間と休息の時間とを、メリハリをつけてバランスよく使い分けるように心掛けてください。そうすることによって、メンタルもフィジカルも変調をきたすのを多少なりとも回避することができるのではないでしょうか。「やまない雨はない」といった格言は皆さんもご存知だと思います。今は、自分にできることや、やらなければならいことに冷静に取り組みながら、事態が好転するのを待ちたいものです。

さて、今日の話題に入ります。今朝は、1972年5月に日本に復帰してから50年の歳月を迎える沖縄についてお話をしようと思います。

最初に、以下の文章の中にある(ア)~(ク)の8つの空欄に入る適当な数字を下記の[選択肢]の中から選んでください。私たちが、現在沖縄が置かれている状況をどのくらい知っているかを試す問題です。

《問 題》

 国土面積のわずか(  ア )%の沖縄県に、在日米軍施設の(  イ  )%が置かれています。沖縄県の負担割合は本土の約(  ウ  )倍になります。

 県民約( エ )万人の約( オ )割が住む沖縄本島の( カ )割近くの面積を米軍施設が占めています。皆さんの都道府県にこれだけ広大な基地があったら甘受できないはずです。

それに対して、県民所得に占める基地関係収入の割合は、近年では( キ )%程度で、基地は、経済発展の阻害要因という人もいます。基地負担などの沖縄の特殊事情も踏まえた「沖縄振興費」などの恩恵を国から受けてもなお、国庫支出金と地方交付税の合計額が沖縄よりも上位の県もあり、特に沖縄だけが優遇されているとは言えません。今でも、県民の平均所得は全国平均の75%しかないのです。また、沖縄の子どもの相対的貧困率は29.9%にも達し、全国平均の16.3%の( ク )倍にもなるのです。 こんな数字もあります。沖縄の米軍基地のうち、海兵隊基地が占める割合は75%です。海兵隊だけでも撤退すれば、基地負担は飛躍的に軽減します。普天間も辺野古も海兵隊基地なので、移設問題も解消するのです。ぜひ、沖縄問題を考えるときの参考資料にしてください。

[選択肢] [a] 2  [b] 5  [c] 9  [d] 74  [e] 140  [f] 500  [g] 0.6  [h] 1.8

⇒正解は本文の最後にあります。

この問題は、今から遡ること7年前の2015年4月4日の朝日新聞の『声』欄に投稿された文章で、投稿したのは、沖縄県在住の三村 和則さんという沖縄国際大学の教授をされている方です。三村さんは、基地負担の問題に関して、沖縄の過重負担を数字で分かりやすく訴えています。沖縄が日本本土の犠牲になっていると指摘しているのです。さらには、本土との経済格差も大きく、その状況は7年後の現在も変わっていません。

私たち国本女子では、朝礼講話も含めて総合学習の時間を活用してSDGsがかかえる問題点、ヤングケアラーと子供の貧困、ジェンダー格差などの社会問題や歴史問題を採り上げています。そうした総合学習の集大成ないしは総仕上げに位置するのが、高校2年生の修学旅行のメインテーマになっている「平和学習」です。平和学習の舞台は沖縄です。残念ながら、コロナの影響で過去2年間は沖縄を訪問することは出来ませんでした。それはさておいて、「平和」は「戦争」の対語、対概念ですから、両者は表裏一体の関係と言えます。つまり、国本女子の「平和学習」は「戦争」についての学習とも言えるのです。

「戦争」についての学習が、なぜ沖縄なのでしょうか。近現代を少しばかり概観すれば、明治以降の日本が当事国になった戦争で、日本国土での地上戦が行われたのは第二次世界大戦末期の沖縄だけであり、当時の住民の1/3に及ぶ10万人の住民が犠牲になった悲惨な戦いだったからです。軍人より一般住民の犠牲者が多かったという点も、沖縄の地上戦の特徴です。もちろん、犠牲になった民間人の数では、東京大空襲の11万人や、広島の原爆投下の31万人、長崎の原爆投下の17万人が上回っています。

戦争は、いかなる戦争でも悲惨で残虐なものです。このことは、戦争を体験していない私たちにも、最近のウクライナでの被害状況を伝える報道を通して、ある程度は想像がつきます。とりわけ、ロシアが2月24日に侵攻を開始してからまもなく、首都キーウ近郊のブチャとその周辺の地域で犯した一般住民への虐殺行為は、メディアによる映像を通して鮮明に私たちの記憶に残っています。軍隊による、民間人をターゲットにした殺戮行為は、国際法上禁じられていますから、ロシアによる行為は戦争犯罪以外の何ものでもありません。

では、沖縄戦が問題となるのはなぜでしょうか。犠牲になった人の数では、先ほど述べたように、広島・長崎での原爆投下や、東京大空襲で犠牲になった人々の数が上回っています。

地上戦が展開された沖縄戦の場合、悲惨というカテゴリーにもうひとつの《変数》を加える必要があるのです。それは、日本とアメリカというふたつの当事国の間での殺戮にとどまらず、当事国内部で殺戮が行われたという点です。具体的には、日本軍による沖縄住民の凄惨な殺害や、集団自殺への強制が行われたという事実です。本来、同胞を守るべき自国の軍隊が、相手国との戦闘のさなかに、自国の民衆を殺戮するに至ったのです。それも組織的に行われたのです。ロシア軍によるブチャでの非人道的な虐殺は、他国民に対する蛮行でしたが、沖縄戦は自国の民衆に対する蛮行が平然と組織だって行われた、極めて特異な戦争だったと言えます。

戦争末期に起きた沖縄戦は、歴史資料によれば、本土決戦を避けるための《捨て石》もしくはそれまでの《時間稼ぎ》の役割を強いられたのが実態です。沖縄に上陸したアメリカ軍を出来るだけ足止めさせることによって、戦闘を長引かせれば、日本本土での戦争を遅らせることができるし、また本土での戦争準備を整えることも可能になるからです。沖縄は本土を守るための《捨て石》となり、沖縄戦は《時間稼ぎ》の持久戦と位置付けられたのです。ここでも、沖縄は日本本土のスケープゴート、つまり犠牲の役割を担わされたことになります。

1945年の4月1日にアメリカ軍が沖縄本土に上陸してから、戦闘が実質的に終わった6月23日までの約3ヶ月間で、アメリカ軍の優勢が強まる中、日本軍は沖縄の方言で「ガマ」と呼ばれる天然の洞窟の中に撤退を強いられます。ガマは、石灰岩でできた鍾乳洞の別名で、沖縄本島には大小2,000個ものガマが存在し、大きなものになると奥行が500メートルにも及ぶものもあります。悲劇はここで起きたのです。

アメリカ軍の攻勢で、ガマに撤退した日本軍は、戦禍を避けて避難してきた住民を、自分たちの避難場所を確保するために、銃器で脅してガマからの退去を命じ、アメリカ軍の銃弾や砲弾が飛び交う中、ガマの外に追い出された多くの住民がアメリカ軍の銃弾や砲弾の犠牲となったり、火炎放射器で焼かれたりしたのです。

ガマの中での退避が長くなると、当然食料品も底をついてきます。空腹に耐えきれなくなった日本軍は、わずかの食料品を大切に保持していた住民たちから食料品を略奪しました。抵抗する住民は躊躇することなく軍刀で切り捨てたのです。さらに、アメリカ軍による発見を怖れた日本軍は、泣き叫ぶ乳幼児の殺害を親に強要したり、軍刀で親子ともども容赦なく斬り捨てたりしました。

悲劇はこれだけでは終わらなかったのです。

日本軍は、沖縄の人々に、どんなに敗色が濃くなっても、アメリカ軍に投降しないように厳しく命じていました。自決を強要したのです。「生きて虜囚の辱めを受けず」という戦陣訓を徹底的に叩き込んでいました。これは「捕虜になるくらいなら死を選ぶほうがましだ」という意味の訓辞ですが、周囲をアメリカ軍に包囲された地域では、町内会を通して手りゅう弾が住民に配られ、集団自決を迫ったのです。これはガマの中でも起きました。手りゅう弾は不足していましたから、ガマでは、住民同士が、さらには家族同士が、鎌やカミソリ、棒などを使って愛する家族を殺めて集団自決を図ったのです。皆さんが耳にしたことのある「ひめゆり学徒隊」「白梅学徒隊」は、看護隊として徴集された女子学生の集団ですが、同じように集団自決を強いられました。歴史家の中には、「自決」という用語は形の上では適切に見えても、軍部がアメリカ軍に捕まることを禁じ、自ら命を絶つ以外の手段を奪っていたのですから、「強制集団死」と呼ぶのが相応しいと指摘する学者もいます。

77年前の4月1日、アメリカ軍の上陸が間近に迫った読谷村(よみたんそん)沖の海上は、数えきれないほどのアメリカ軍の艦船で真っ黒に埋め尽くされたそうです。その27年後の1972年5月15日に、沖縄は日本に復帰しました。この年、同じ読谷村の濃い霧に覆われた海に望んだ一人の詩人は、犠牲になったウチナンチュー(=沖縄人)の心を想像して次のような歌を詠んだのです。

マッチ擦る つかのま海に 霧ふかし 身捨つるほどの 祖国はありや

― 寺山修司

興覚めするかもしれませんが、口語訳にしてみました。

「マッチを擦る一瞬、海に深い霧が立ち込めている光景が浮かび上がる。我が命を捧げるほどの祖国はあるのだろうか」

これまでの話を通して私が伝えたかったことは、沖縄での日本軍による非人道的行為に対して、怒りや良心の呵責を覚えるべきだとか、犠牲となった沖縄の人々に対して同情や憐れみの気持ちを持たなければならないということではありません。沖縄戦で起きたことは、私たちに国家と個人との関係を改めて問うように教えてくれていると思うのです。国家は、国益つまり共同体全体の利益を図るという大義名分の下、結果として、その構成員である個人を犠牲にする可能性を秘めているのです。戦争はその最たる例です。従って、国家を頂点として、企業や学校も含めた大小様々な共同体の中で生きざるを得ない個人が、組織の大義名分に圧し潰されないためには、普段から、組織の価値観を相対化できる自立した考え方を身に付けていなければなりません。以前お話ししたことのある《インナーペアレント》からの自立が求められるのです。

沖縄戦は今や遠い過去の出来事になりましたが、その教訓は、現下の世界情勢に照らして、重要性を増すことはあっても減じることはないと思います。軍事拠点としての沖縄の役割がますます強まっているという意味では、沖縄は今でも《平和》と《戦争》が混在している特異な地域です。日本の近現代史の学習での生々しい《素材》と言えます。国本女子の皆さんが、沖縄の学習を通して、さらなる学びを深めることを期待します。(以上) (4574字)

[解答](ア)-[g] 0.6  (イ)-[d] 74  (ウ)-[f] 500  (エ)-[e] 140   (オ)-[c] 9  (カ)-[a] 2  (キ)-[b] 5   (ク)-[h] 1.8
参考文献①:『想像の共同体』 ベネディクト・アンダーソン 著
参考文献②:『共同幻想論』 吉本隆明 著

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